日記

日々おもふこと

ダウントンアビーを見てる毎日

ずっと家にいる。

 

退屈ではない。

 

何かをやらなきゃという焦燥感を遠ざけたいので、ゆっくり休養している。

 

朝起きて、気が向いたら納豆食べて、ダウントンアビー見て、疲れたらベッドでゴロゴロ🛏。

 

残念ながらテキストがまったく頭に入ってこないので、本は読めない。

 

目が疲れるからタオルにホッカイロ入れて目にあててみたらめっちゃ気持ちよかった。

 

ダウントンアビーのストーリーが激動過ぎて疲れたら、体をちょこっと動かすこと、洗い物か洗濯物畳む。乾燥機付きの全自動洗濯機とルンバがいるので、私の出番はほぼ無い。

 

胃腸さんの様子が悪いので、夕食を1週間抜いてみている。現在3日目。より、時間にゆとりがある。

 

自分史上最高に自分を甘やかしている。

 

f:id:satoko2530:20180715203702j:image

腰痛にはこのツボが効くらしい

 

骨と筋肉と消化の仕組みをグーグル先生に習っている。

f:id:satoko2530:20180715203927j:image

PC開けると吐きそうになるからノート

 

 

学歴とか年齢とか経験は関係ない

フラットな自分でありたいと思い過ぎて、理想が自分自身を追い越していた。

 

学歴とか年齢とか経験は関係ないと思っていた、と思っていた。

 

学歴とか年齢で人を見る人を見下していた。

自分がなめられたと思ったら、心の中で中指を突き立てて怒ってた。

 

よーく、よーく、よーく、考えたらやっぱりわたしは人を学歴とか年齢で見てた。

 

自分の出来ることに対して無意識だから、それが私の場合学校の勉強だったから、

私より勉強が出来ない人、しなかった人ってよく分からなかった。

テストというよりは、本を読んだり、自分でそれについて考えることが好きだったから、勉強が、やらなくてはいけないタスクという感覚はなかった。

 

今でも、自分が所属していたコミュニティでは、私の学力は普通だったと思うし、特に褒められたこともないんだけど、

ネガティブな思い出がないってことが、既に出来てだってことなんだと思う。

 

この高慢さで人にすごく怒られたこともあったし、人を遠ざけてたと思う。

 

それと初めて会った人の年齢がすごく気になる。この人はどういう人ですどんなバックグラウンドがあったのか、判断したがるくせがある。

 

その場でその人と話すのに、年齢とか学歴は知らなくてもいいのに。

 

インドネシアでも、これまでの職場でも、そんなことはないってたくさんの体感があったのに。

 

経歴はピカピカでも、それはどうなんでしょうという発言をするお偉方もいた。

それに媚びへつらう(言い方に問題あり)ことが癖になってる哀しいサラリーマンもいた。

インドネシアの本当に田舎で学校に通ってなくても、賢くて鋭い発言をするおばあちゃんもいた。

立派な経歴をもってフラットですよー、優しいですよーというオーラを放ちながらも、自分で自分を許せてなくて、突然に人に牙を剥く人もいた。

 

結論とかないけど、

今はデトックスのように、自分の黒いところを出すしかないって感覚がある。

 

 

 

 

 

頭のお休み期間に入っています。

7月に入ってから仕事がほぼなくなって、休んでいます。

 

心と体に溜まった緊張と疲れをほぐすために、寝て寝て寝まくっています。

それでも考え過ぎてドツボにはまる日もあるけど。

 

これまでの人生わたしゃ、頭を使いすぎた。

決して戦略的に生きてきたという意味ではない。身体のごくごく上にある頭が考えたこと、頭に刷り込まれた◯◯であるべき、を大事にし過ぎた。

 

疲れた。

心が疲れている。

本当はこうしたかった、こんなん言われていややった、こんな私じゃダメなの😰😰 とかゆう緊張 萎縮がめっちゃ溜まってる。

 

私は、自分の中の気が弱い自分、人に合わせてしまう自分が嫌いで虐待していた。

 

あんたさえいなければ、もっとうまく生きてこれてた。

恥ずかしいから人前に出したくない。

うまれてこなければよかったのに

と無いものにしてた。

 

無視され、叩かれ、否定された私は、

悲しむ、拗ねるを通り越して、凄い怨みの目で私を見ていた。

 

本当の気持ちなんてそう簡単に教えてくれそうもない。

 

----------

身体も疲れた。

 

頭ばっかり使って、オーバーヒート何度も起こしたから、身体と頭の接続部分の首がかちこちになっとる。頭にエネルギーが溜まり過ぎて、全然下まで降りて来てない。

 

気を遣ったままごはん食べてたから、胃腸の吸収作用がうまくいってない気がする。あんまり食べてないのに、夜になると逆流してくる感じがある。食べたいから食べてた?身体の声をガンガンに無視していた。

 

----------

 

今まで溜め込んで来た

知識があるほうが偉い、

頭が良いと思われたい、

しがみついて来た思いがめっちゃ重かった。

 

インドネシア関連、人類学関連、インディアン関連の本を結構捨てた。それと人に貰った本ね。

 

私は、専門家じゃないし、ものはいつかなくなるし、今の私に必要なものしか要らない。

身についてない知識にしがみつかなくても私の価値は変わらない。

 

誰々から貰ったから捨てられないって、自分にいい人を強要してたら、吐きそうなくらいエネルギーが重い。

 

それを見るたびに、ああ、要らないなぁ、でも人に貰ったのにそんなのおもうのはダメだ…とモヤモヤがたまる。相手は絶対覚えちゃいないのに。気遣いの便秘は気持ち悪い。

 

人にいいカッコするための服や下着も捨てた。

目の前の、自分より大切な他人なんていない。

身体が心地よいと思う感覚が大事だと思う。

 

人間は頭で生きてるわけじゃ全然ない。

歪んだ思いのくせ、カスを大掃除して、本当の意味で感覚で生きる人になりたい。

 

f:id:satoko2530:20180714071020j:image

f:id:satoko2530:20180714071137j:image
f:id:satoko2530:20180714071141j:image

 

 

 

 

 

学問に対する執着

本の整理をしていて思った。

 

わたしは、本を所有することで学問とか知識に執着してるんだなってこと。

 

私がほんとに好きで何度も読み返しているのは、小説だ、学術書じゃない。

 

小さい頃から本を読んで空想して、違う世界に浸るのが好きだった。

 

頭の良い人も好きだし、学問は好きだけど、等身大の今の私は、難しい本を必要としていない。

 

人類学の本も、インドネシアの本も持ってるだけでなんか重い。

 

いつからでも始められるから今手放してもいい。

 

今必要ないものは、なくていい。

 

あってもいいけど、今はない方が気持ちが楽になる。

 

学問は待ってくれる。

逃げないし、分厚いし、素晴らしい。

 

焦って握りしめてるのはわたしだ。

 

できないのではなく、やりたくないということ

自分の本音に気がついてしまった。

なんで、私は他の人みたいに、会社で働いてキャリアを積み上げて着実に人生を歩めないんだろう。

 

なんで、私はみんなみたいに順を追って物事を進められないんだろう。

 

なんで、私はみんなみたいに論理的に考えて文章を書けないんだろう

 

なんで、なんで?

能力がないの?努力が足りないの?

とずっと自分を責めていた。

 

だけど、気がついてしまった。というか分かっていたけど自覚してしまった。

 

私は、できないんじゃなくて、やりたくないんだ。

 

心の底では、

え?もっとギャンブルな人生のほが面白くない?

子供みたいにぐちゃぐちゃにやったほうが楽しそうじゃない??

 

って思ってる。うん、思ってるねー。

 

それを可哀想とか思って欲しくて、私、頑張ってるのにできないんです。とかゆっちゃってる。

 

三文芝居!!!笑

 

その時の自分は本気のつもりだけど、本音が分かっちゃいない。

 

憧れとか過去のよい思い出がトラップとなって、自分の本音が分かっちゃいない。

 

巻き込んだ人いっぱいいるーーー笑

すいませーーーん。

 

そしてそんな私とも真剣に関わってくれた人が何人いたか。

 

ありがとうーーーー😭😭😭😭

 

f:id:satoko2530:20180627194814j:image

 

 

 

 

もう自分に合う仕事探しはやめます

6月に入ってから、週末の沼津、浜松のバイト。宇宙人仲間のゆみっしーと上海、そのあとお休みを少しもらって神戸へ。誰もいない家で心を休めるつもりが、京都のディープな飲み屋に行き、神戸で昼からサイゼリアワイン、名古屋に途中下車してお友達と会う。と動きまくっている6月後半戦です。

 

f:id:satoko2530:20180625152201j:image
f:id:satoko2530:20180625152308j:image
f:id:satoko2530:20180625152615j:image
f:id:satoko2530:20180625152334j:image
f:id:satoko2530:20180625152209j:image
f:id:satoko2530:20180625152323j:image
f:id:satoko2530:20180625152344j:image

 

やっぱり私は自分が動いて、そこでその場にいる人たちと交流してんのが好きなんだと分かった。

 

てきとーに喋ってるから、関西弁なのか英語なのかもはやどーでもいい。どこにいても私は私で別段変わらない。

 

〇〇だからやるとか、〇〇のためにやるとか筋通したいし、他の人に説明したいけどできひんわ。

 

もー、一生フリーターでいいや。

その場稼ぎでいいいや。

携帯の充電無くなって、連絡できなくて呆れられて、すいませーん。

色んな人に迷惑かけて同居人に家賃払ってなくてすいませーーん。

 

目の前にお金があるとすぐに髪染めにいって、マッサージいってすいませーーん。

 

飲みの席でつい盛り上げたくなって話しを盛ってすいませーーーん。

 

こんな私ですいませーーん。

 

自分が動いてる時に、自然とやっていること、心地よいことをやり続ける。

自分の居場所は自分で作る。

by さとこ こにし

 

f:id:satoko2530:20180625153359j:imagef:id:satoko2530:20180625153654j:image

 

 

上海@ひとりホテル

金曜日に上海に来て3日目。

中高の部活の後輩とその友達のドイツ人が郊外に遊びに行っている中、疲れたといってひとりホテルでボケっとしている私です。

f:id:satoko2530:20180617194054j:image

 

よくよく考えれば、ドイツの研修旅行でも、ジャカルタ出張でも、バリ、ジャワのメディア招待旅行でもいっつもそう。

グループで来ていて、疲れて私ひとりでスケジュールスキップするっていうやつ。

 

繊細とか気を遣いすぎる無理しすぎるとか原因は色々考えたけど、結構どうでもいい。囲まれた異国の空間にひとりでいるのが割と好きなのかもね、そうじゃないのかもね。

 

上海。結構落ち着いていてなんら違和感はない。どこでも中国語で話しかけられるので、私は中国人に見えるのだろう。インドネシア、タイ、フィリンピンとかでは、現地の華僑にしか見えないと言われて、本場中国でも中国人に見られるのなら、アジアどこいってもわたしは馴染めるのだな。最強。

 

f:id:satoko2530:20180617194543j:image

 

中国は、歴史もあるし、人も強いイメージがあったので警戒していたのだけど、地下鉄や観光地を巡った限りはみんな普通な感じだった。

 

グーグルとフェイスブックYouTubeが使えないことは結構衝撃だけどね。

私が思うウェブの8割が禁止って。

その労力たるや凄いだろうな。世界がそっちの方向なのに独自路線を行くって凄いエネルギー使いそう。

 

街中では、モバイル決済が相当進んでて、買い物とか電車とかみんなピッみたい。でも上海しか使えないらしい。不便。だって中国まぢで広いもんね。

パイがちゃいまっせ。郊外のマンション群は、ちょっと気持ち悪いくらいだった。f:id:satoko2530:20180617195040j:image

 

明後日帰る。

幸運が重なり、現地通貨一円も持ってないのにやってけてる笑

 

インドネシアとかマレーシアであんなに孤軍奮闘してた自分が哀れーーー(╹◡╹)

 

分かったこと

世界はまだまだまだ、本当に広い。

外国に来たから何かが変わるわけではないが、外人と気を遣わずテキトーな英語で過ごすのはほんと楽。

ひとりホテルお留守番はお腹が空く。

f:id:satoko2530:20180617195357j:image

f:id:satoko2530:20180617195406j:image

f:id:satoko2530:20180617195541j:imagef:id:satoko2530:20180617195556j:imagef:id:satoko2530:20180617195602j:imagef:id:satoko2530:20180617195611j:image