日記

日々おもふこと

出会い系サイトで70人と…を読んだ感想。

 

 

昨日この本を読みまして、大変参考になった。

内容は、ヴィレバンの店長をしていた著者が、1年くらい出会い系サイト(実際はもう少し意識高い系マッチングアプリ的なもの)で知り合った70人に本を薦めまくって、個人的な問題を乗り越えつつ、本を薦める技術をあげていくお話しです。

思ったことは2つ。

1.作者さんは自分の好きと仕事がマッチしている

言い換えれば、本の作者さんが自分の適性を自分でよく分かっていらっしゃるということ。例えば、作者さんはサブカルに傾倒して漫画や本が好きで家でもそれを読むし、サブカルの聖地とも言える下北沢のヴィレバンに入り浸っていたそうです。

そういう自分の趣向を分かった上で、大学卒業後にふらふらして就職でもするか、というタイミングで下北沢に住み、通っていたヴィレバンに貼ってあった求人広告を見てヴィレバンに就職するというごく自然な流れ。

 

これ、これ。

こういう本音をベースに自分の勤め先を選んだ著者さんがすごいと思うし、大変に羨ましい。私にも欲しかったです、こういう視点 (T_T)(T_T)(T_T)

働き始めても、共通の趣味や世界観を持つ人たちと一緒にいるのはとにかく楽しくてしょうがなかったとか。

 

いーなー。

あたくしそんなん思ったことがないっす。

 

誰もが好きと仕事の適性が合致するとは限らないけれど、少なくとも自分がどの世界に身を置くのが心地よくて、力が発揮できるのかを自分で掴んでいることは強いと思うのです。

私は、ここがいつも苦労ポイント。仕事に関しては、力んじゃって自分がどういうタイプかは脇に置いてしまい、妄想のイメージで「こういうのいいかも」、「なんかかっこよくて素敵かも」、「案外自分にはまるかも」なんていって無理矢理動いてしまうんです。

ここでの反省ポイントは、夢見る愚かな自分というよりは、自分の本音に気がついていながらそれを見て見ぬ振りをしていること。

なんとなく分かるじゃないですか。

 

「いやいや、でもこれはちょっとちゃうなー」とか、

「これはやりすぎやわ」とか

 

そういう心の声が聞こえていないわけではないのに、

 

「これやったら面白くない(。-∀-)」

「やばくない(。-∀-)」

 

という謎の声に押し切られ無茶な行動をしてしまうっていうね。

 

そうやって無茶な選択をすると、たとえ一度は実現しても「あ、なんか違う」と思って違和感を覚えていく。結果、長続きしなかったり、違和感に耐えられず自分の選択を恨んだりしてしまう。

その違和感は自分にはこれは向いていなかったんだというサインなので、それはそれでいいんですが、何度も続くと自分との信頼関係がガタガタになるのがよろしくない。

 

あぁ、まただめだ。

私に向いていることなんてない↓↓↓

誰も分かってくれない↓↓↓

 

というループにはまっていくんです。

よく考えれば、その違和感は当たり前の結果なのに、これが絶対に良いはずだ!!という思い込みが強いと、それがうまくいかなかった時にガクッと凹んでしまうんですね。

 

仮に、自分があまり足元を見ずに動くタイプだと自覚があれば、違うなと思った時、あ、これ違うんだとサクッと次に進む、でいんですよ。さとこさん。

 

 

2.自分の問題を乗り越えるために始めた本の紹介で、自分に磨きがかかっている

これ、作者さんが体を張って実施した一大フィールドワークなんですよね。どう考えても。人生は壮大な実験で飽くなきフィールドワーカー(きらり)を自称する私は、私もこれやりたい!!という声がもれそうでした。

1年間人に本を薦める過程で、アドバイスされてプロフィールを修正したり、最初は身体目当ての人が続いたと後で気が付いたり、変てこりんな小説書いてくる人に吐き気を覚えたり、自分よりも本を読んでいる人がいて冷や汗をかいたり、

経験に比例して、コミュニケーションスキルも、人を見る目も、本の薦め方もどんどん洗練されていくんです。

その結果、ブックコンシェルジュというお仕事に就くことになり、自分の経験を連載するようになり、この本が出版されるという、ゴールデンコース✨

ここで私が大事だと思うのは、最初からこの体験をネタにしようとか自分の仕事につながるように本を紹介しようという気持ちからではなくて、

 

これ面白そうだ!

切実に今の自分にはこれやってみたい感じするねん!

 

という動機で始めたように思えることです。本当のところは分かりませんが、私にはそう思えました。だからこそ1年間も続いたし、結果的にお仕事にも結び付いたんではないかなと思わずにはいられない。

 

私も、等身大の自分が現在、楽しめる事に集中したい。

人にばっかり散らしていた目を自分に当てて、もっと解像度の高い自分自身を見つけたい、と思ったのでありました。