日記

日々おもふこと

美の感度 愛の感度

最近昔よりも感激やさんになりました。美女と野獣の映画では、開始早々泣きそうになった。ベルのお父さんがベルに「君のお母さんは、恐れ知らずだった(fearless)」と話す場面。片田舎町で変わり者と言われながらも、誇りを持って暮らしてるお父さんの寂しさとあったかさ。自分の理解者で最愛の妻が亡くなった喪失感と自分たちの感性を受け継いでくれたベルに向ける励ましの眼差し。そんなものを感じました。

 

それからベルが野獣の暮らす城の図書室を初めて見た時。本を読むのが大好きで、知識欲と好奇心が人一倍旺盛なのに村では手に入る本も少なく、話が合う人もほとんどいない。そんなベルが広いお城の図書室にぎっしり並んだ本を見た時の感動。こんな夢みたいなことってあるの、という体の底から湧き上がってくる深い感動を、私も一緒に体験しました。

 

よく作られた映画だから感じやすかったのはあるけど、以前の私ならそんな感動の仕掛けにのってたまるかと、わざと斜に構えてた気がするけど、素直に感じれば世の中素敵なことや、感動できることはたっくさんあるんだと思う。

 

イライラする通勤電車も、みんな遅刻しないように頑張ってるんだ。日本はいい国だと思えるし、くだらないかもと思ってたバラエティ番組も、人を笑わすためにすごい真剣なんだと思えば、こうやってれば数字とれるでしょ〜みたいなすかした感じは脇に置いとけます。

 

物事を楽しめる感性があれば、なんでも楽しいし、心は震える。何かに楽しませてもらおうとするとつい文句つけたくなったり、斜めに見ちゃいがちなんですが、楽しいとか、美しいは、自分が見出すもの。美の感度をあげれば毎日がちょっとハッピーになりそうです。

次の勤め先を決めずに仕事を辞めてみる

タイトルの通りやってみます。人生は壮大な実験だと思えば、大きな決断も小さな決断もないような気がする。

仕事を辞めることと、新しい仕事に就くことは別個のことだから、セットにしなきゃいけないもんでもないとストンと腑に落ちたというか知っていたみたい。

 

退職するにあたって、自分の中に溜め込んできた我慢に出会い愕然としました。ほんとはやだったんだなぁと思うことが日常生活にたくさんあって、それを溜め込んでたこともそうだけど、それをないものにしてへらへらしていた自分に猛烈に怒りがこみ上げてきて。というか、鬼のごとく自分に怒っているもう1人の自分に気づいてまぁびっくり。その我慢を伝えたいと思った人に私なりに伝え、相手を(おそらく)傷つけ、自分も傷つき、ふーー、一回休みとなったけど本音を言うとかなりさっぱりしました。

 

この先憧れの旅雑誌を作ることになるのか、ジリジリと破滅の道を進むのか、うじうじ後悔するのかわかりません。あくまでも実験なので。なんとなく地方の旅館で仲居さんやってみたいなとか、自作ラジオを作ってみるかとか、劇場のもぎりでもやるかとか、モダンダンスの師匠を追いかけるかとかゆるく考えています。

 

どうなるのか、経過観察していきたいと思います。まだまだ先は長い。

 

 

 

 

愚かな自分を愛そうキャンペーン

初めからなんですが、わたしはかなり愚かです。

 

酔っ払って変なカバンを買います。

自分の信念におかしいと思ったら一番お世話になった人に盾突きます。自分を思ってくれる友達を遠ざけます。

なぜか今更モテたいと思っています。

めんどくさいことはやりたくありません。

ださいことが嫌いで、人のだささを見つけては批判します。

お姉ちゃんが買ったお気に入りのワンピースをサナトリウム結核患者が入る施設)の人みたいと言います。

資本主義から脱却したいといいながら、資本主義に憧れています。

密かに自撮りを研究中です。

 

かなり愚かです。人からみたら何さまという感じです。なので、私がその愚かな自分を愛そうと思います。

やな感じで上から目線で皮肉屋でかまってちゃんな私は少なくとも私に愛されています。みんな、自分を愛そうと叫びたい。そしたら誰にも愛されない人はいなくなります。理論上。なので私はとりあえず愚かな自分を愛そうキャンペーンを実施します!

 

待ち合わせする人の顔

渋谷のハチ公前や、新宿アルタ前、新橋のSL広場でよく見る光景。待ち合わせをしているらしく、誰かが誰かを探している。探しているときは、みんなちょっと不安そうにあれれ?どこ?という顔をしている。携帯片手にキョロキョロと周りを見回す。それが相手を見つけるとみんなニッコリする。あぁ、みつけた!そこにいたんだ〜、久しぶり!、おう!お疲れ、みたいな感じ。その瞬間の緩んだ人の顔がすごく好きです。好きというか、あぁ私の知らない他人にも親しい友達とか家族とか恋人がいるんだなあと思って、急に親しみがでてくる。多分通勤電車でその人が横にいてもただの知らない人だけど、待ち合わせで知り合いを見つけた人の顔をみると、思わずよかったね、と話しかけたくなってしまう。みんな人間なんだね、当たり前だけど。

カッコ笑いの功罪

(笑)が一般的に使われるようになったのは、ネットやメールのやり取りが始まってから。私もラインとかでよく使うのだけれど使う度に思うことがある。あ、私なんかごまかしてんなー。変に思われたくないなーと思う時に使ってるなーって。(笑)と書いておけば、ちょっときつい言い方しても、マイルドになるかなーって。どうなんでしょこれ。

 

マイルドになることは果たしていいことなのか?

言いたいことがあるならカッコとかつけずに言えばいいじゃない。

と私の中2が叫びだします。

人の目を気にしていいたいこといえないなんて恥ずかしい。悔しい。情けない。かっこ笑いは便利だけど使いすぎると自分の気持ちわかんなくなっちゃうぜ。

塞ぎ込んでいるわたしの海外ドラマ鑑賞法

今日自分の顔を鏡でみたら、えっらい切羽詰まった顔した妙齢の女の人がいました…なんか塞ぎ込んでいる模様。

 

そんなわたしの気晴らし(気分転換)は海外ドラマ鑑賞。それも、チャラいというかライトな感じの海外ドラマ。ゴシップガール。すごい今更感。

 

登場人物は結構限られた人間関係の中で、くっついたり、離れたり、憎み合ったり、慰めあったり。全部で6シーズンあるみたいなんですが、シーズン2の初めあたりでストーリーを追うことはやめました。だって近場であっちゃこっちゃしててあんまり意味がなさそうだから。それよりは、もうシーンの一期一会で、登場人物の感情に焦点をあてることにした。

 

性格も中身もパーフェクトな金髪美女にずっとコンプレックスを抱え続けてて、人を蹴落として、自分の優位性を確認し続けたい女の子のちょっとした優しさとか、文学少年を気取った男の子の俗っぽいワガママとか、いちいち心を打たれます。

 

それにしても、みていて思うのは、アメリカって(ドラマだけかも知れませんが)すごい「正直圧力」ありません??パートナーには嘘をつかずに全ての気持ちを洗いざらい話すべきとか、自分の心に従うべき、とか。思ったことを口にしないと存在意義がないという権利社会とは聞きますが、あんまり自己主張とか正直に話すことが得意でない私にとってはたまに、もーいーじゃん。そゆーこともあるよ。ってなります。

 

あとよくあるフレーズは、反抗してくる子供に対して、私はあなたを守りたかった。非難(judge)しないで。あとは呼び出しといて、イラっとすると呼び出したほうが、すぐにもう行かなきゃっていう。なんで??呼び出したのそっちじゃないの?と思います。

 

どーでもいいけどそんな日常。

ワクワク予算の使い方

もし、次の瞬間世界が終わるとしたら…をかなり真剣にかつ身近に考えた結果、自分が欲しいと思ったものを何も考えずに買うことがいいかもと思い至った。あぁ、あれが欲しいと焦がれるのもいいのだけど、それは一種の癖であって、手に入れたほうがきっともっと楽しい。それか大して欲しくないことが分かったりするかもしれない。

 

そんなわけで、役に立つとか値段が安いとかではなく、自分がいいかも!と心踊るものをワクワク予算と名付けてどんどん買っていくことにした。銀行口座からお金を適当に引き出して、ワクワクの名の通りとびっきりお気に入りの金ピカ財布にいれてみた。

 

自分が進んで愚かなことをしている気もするけど、そもそも自分の行動は8割以上が愚かだと開き直ってみる。

 

そうやってひとつひとつ好きなものを、子供みたいにはしゃぎながら買うと、単純に楽しいし、自分が自分に許していなくてしょぼしょぼになっていたああなりたい!とか、こうなりたい!というとのが見えてきてびっくり。

 

わたしの場合、自分はこういうキャラじゃないからこういう色のものは相応しくない、とかこういうものを着てはいけないんだという外見に対する思い込みが激しかったようで。

買ったものを並べてみると、へぇ自分はこういうものに憧れてたんだあとか、こうなりたいんだあとかしみじみ気付かされて、なんだか胸がいっぱいに。

 

ワクワク予算で物欲を満たしていくと、次から次へと欲しいものが湧いてこないかと心配だったのですが、結構気が済んだのもあるし、買い物はそれはそれでエネルギーを使うことが分かったので、次のワクワク予算まではもう少し時間あいてもよさそう。

 

ちなみにワクワク予算で買ったものは普段よく使ってるものもあるし、見るだけでうふふと楽しい気持ちになって着ていないものもあります。とにかく、心を満たすことが大切だったようです。