塞ぎ込んでいるわたしの海外ドラマ鑑賞法
今日自分の顔を鏡でみたら、えっらい切羽詰まった顔した妙齢の女の人がいました…なんか塞ぎ込んでいる模様。
そんなわたしの気晴らし(気分転換)は海外ドラマ鑑賞。それも、チャラいというかライトな感じの海外ドラマ。ゴシップガール。すごい今更感。
登場人物は結構限られた人間関係の中で、くっついたり、離れたり、憎み合ったり、慰めあったり。全部で6シーズンあるみたいなんですが、シーズン2の初めあたりでストーリーを追うことはやめました。だって近場であっちゃこっちゃしててあんまり意味がなさそうだから。それよりは、もうシーンの一期一会で、登場人物の感情に焦点をあてることにした。
性格も中身もパーフェクトな金髪美女にずっとコンプレックスを抱え続けてて、人を蹴落として、自分の優位性を確認し続けたい女の子のちょっとした優しさとか、文学少年を気取った男の子の俗っぽいワガママとか、いちいち心を打たれます。
それにしても、みていて思うのは、アメリカって(ドラマだけかも知れませんが)すごい「正直圧力」ありません??パートナーには嘘をつかずに全ての気持ちを洗いざらい話すべきとか、自分の心に従うべき、とか。思ったことを口にしないと存在意義がないという権利社会とは聞きますが、あんまり自己主張とか正直に話すことが得意でない私にとってはたまに、もーいーじゃん。そゆーこともあるよ。ってなります。
あとよくあるフレーズは、反抗してくる子供に対して、私はあなたを守りたかった。非難(judge)しないで。あとは呼び出しといて、イラっとすると呼び出したほうが、すぐにもう行かなきゃっていう。なんで??呼び出したのそっちじゃないの?と思います。
どーでもいいけどそんな日常。
ワクワク予算の使い方
もし、次の瞬間世界が終わるとしたら…をかなり真剣にかつ身近に考えた結果、自分が欲しいと思ったものを何も考えずに買うことがいいかもと思い至った。あぁ、あれが欲しいと焦がれるのもいいのだけど、それは一種の癖であって、手に入れたほうがきっともっと楽しい。それか大して欲しくないことが分かったりするかもしれない。
そんなわけで、役に立つとか値段が安いとかではなく、自分がいいかも!と心踊るものをワクワク予算と名付けてどんどん買っていくことにした。銀行口座からお金を適当に引き出して、ワクワクの名の通りとびっきりお気に入りの金ピカ財布にいれてみた。
自分が進んで愚かなことをしている気もするけど、そもそも自分の行動は8割以上が愚かだと開き直ってみる。
そうやってひとつひとつ好きなものを、子供みたいにはしゃぎながら買うと、単純に楽しいし、自分が自分に許していなくてしょぼしょぼになっていたああなりたい!とか、こうなりたい!というとのが見えてきてびっくり。
わたしの場合、自分はこういうキャラじゃないからこういう色のものは相応しくない、とかこういうものを着てはいけないんだという外見に対する思い込みが激しかったようで。
買ったものを並べてみると、へぇ自分はこういうものに憧れてたんだあとか、こうなりたいんだあとかしみじみ気付かされて、なんだか胸がいっぱいに。
ワクワク予算で物欲を満たしていくと、次から次へと欲しいものが湧いてこないかと心配だったのですが、結構気が済んだのもあるし、買い物はそれはそれでエネルギーを使うことが分かったので、次のワクワク予算まではもう少し時間あいてもよさそう。
ちなみにワクワク予算で買ったものは普段よく使ってるものもあるし、見るだけでうふふと楽しい気持ちになって着ていないものもあります。とにかく、心を満たすことが大切だったようです。
○○さんへ のへ
○○さんへ と書き出したメールのへが好きだ。ビジネスメールでは普通、○○様、もしくは○○さん と書いてへは書かない。そんな事務的なメールに埋もれて、○○さんへと書かれるとすごくあったかい気持ちになる。○○さんだけでも意味は通じるけどへが付くと特別にあたなたへのメッセージという気がするからだ。わたしは、嫌いな人には○○さんへのへは書かない。へと書くほど相手を思いやるつもりはないから。手紙ではへはよく使われるけど、メールのテキストでへが使われると特別な感じする。
考えてみれば、○○よりのよりも一緒かもしれない。○○だけでも意味は通じるけどよりをつけると、親密な感じがする。
ちょっと試してみよう。まずは、何もなし。事務的なパターン。
これを読んでるみなさん
云々カンヌン
さとこ
どこか気取った芸能人のメッセージみたいだ。では、へとよりをつけてみる。
これを読んでるみなさんへ
云々カンヌン
さとこより
うん。礼儀正しくて親しみやすい気がする。
ちなみにこれをふと思ったきっかけは、社内の人とのやりとりでへをつけたメールが送られてきたこと。私たちは日常の細やかなことにもある文化コードを感じながら過ごしてる気がする。これだけ真面目にへについて書いたわたしのただの考えすぎだったらちょっと悲しいけれど。