私は本当に物書きになりたいのか?と問うてみた。
何がしたいの?と聞かれて、ここ10年くらいは物書きになりたい、と答えていますが、実はイマイチすっきりしない。
すごーく小説が書きたいわけではないし、ジャーナリストになって世の中の真実を暴きたいというわけでもなし、マーケティング的な文章を書くのが得意だとも思わないし。
なんなのだ?なんなのだ?
今、これをもうちょっと掘り下げることが、「何かやりたいのに何したらいいか分からない」という最近のもやもやへの一番近道な気がする。
周りの人にはまた&まだそんな分析やってんの?と言われるけど、飽きるまで考えるもん。遅れてやってきた自己分析癖とモテたい欲求(何のこっちゃ)。ということで、自分のやりたいことの解像度を上げるために「自分と書くこと」について 掘り下げていきます。
マンションの廊下で寝そべって書いていた詩が原体験
思えば、私の書くことの原体験は物心ついた頃に、鉛筆とノートだけ持って自分家(マンション)から飛び出して、共用部分の廊下やエントランスで詩みたいなものを書いていたこと。母親によると、「ちょっとさとこ行ってくるわ」と急に家を飛び出してたらしい。
雨のしずくがぽちゃんぽちゃんと垂れるところを見て、雨がぽっちゃん みたいな詩を書いていた。多分その頃から、「ここではない世界」に憧れていて、マンションの公園の向こうには不思議な国が広がっているとよく空想していたなあ。
あとは、その場の空気から感じることとか余韻みたいな言葉にならない感覚をどうにか言葉にしたかったような気がする。
例えば、ある日マンションの友達と遊んでいてすごく楽しかった。女の子のごっこ遊びに珍しく男の子も加わって、敵と味方に分かれて戦って、復活して、また戦って。汗だくになって遊ぶ。もう夢中で。でも夕方になってお母さんたちが「ご飯よ」と呼びに来る。あーあ、せっかく盛り上がってたのにといいつつ、泣く泣く解散する。
それで、次の日もその時の楽しさが忘れられなくて、同じことをやってみるんだけども全然面白くない。なんか、違うんだよなぁ、昨日ほど盛り上がらないなぁとその場の誰もが思ったことがあった。
その時の残念な気持ちとともに、その時そのメンバーで生み出される空気感・ライブ感が大事なんだなと強烈に感じたのを覚えている。
それも詩に書いた。
なんだろう。自分の発見を言葉にしたかったんだと思う。
私にはこう見えたよ、こう思ったよ、って言いたい。
お母さん、聞いて聞いて。さとここんなこと思ってん。どう思う?って感じ。
それが小学校4年生の時に書いたこの詩みたいなやつ。
当時私は本当に男子というものが意味不明で、かっこつけてるくせに、甘えてくるという謎な物体でしかなかった。それを表現したかったんだと思う。
今見ると、自分でもよく言っちゃってるなー、と思うけど当時はほんと邪心なし。自分の発見、物の見え方を言語化したかったのです。
ちなみに、なぜ、言葉だったかというと、私は本を読んだりして言葉に感動したり、助けられたり、自分にとって身近だったからだと思う。
作文を褒められた記憶はない
作文とか読書感想文も書くのは好きだったけれど、決して褒められた覚えはない。
それもそのはず、と今は思う。
清少納言の枕草子スタイルの現代版を書いたり、(提出直前に書いたかなりテキトーなやつ)
Oh!紙という名前の狼の一族が崖から飛び降りて、動物占いの狼の姿になるという謎の物語を書いたり(当時動物占い流行ってたからさ)
自分が思いついたアイディアに満足して、内容やその背景を分かりやすく説明するとか一切していなかった。だから、先生のコメントはいつも「苦笑」という感じだった。
「小西さんは、なぜこれを書こうと思ったのでしょう?」
「予想を裏切るユニークなお話ですね」
「先生はこんなこと思い付きもしません」
とかね。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
まあね、今思えば大人は困るよねって思います。
だって色々意味不明だもん。
一方、それを見た私はというと、
ふーん、先生よく分かってねえな(私の面白さを)
この人、凡人だからさ、理解できてないね
と思って評価されないことに慣れていきました。
多分本当は「面白かったね」と言われたいし、この物語の面白さはこの部分だからここをもっと膨らませたら?みたいな感想が欲しかった、よね。
だけど、基本スルーされてた!笑
それで、私はそこに凹むというよりは、この人たちは分からない人たちなんだと自分で距離をとることで、自分を守っていたんだと思う。
自分の世界は自分だけで守ろうと決めたんだと思う。
分かってもらえない、という孤独感は自分が選択していたみたい。
「分かってもらえない」と思う気持ちの根源が見えてきたよ
書いていてちょっと切なくなるから、きっとそうなんだろうな。
でもね、先生の立場を考えるとさ、そりゃわかんないよ。説明してくれないと。
あなたにあなたの世界があるように、人にはもれなくその人の世界がある。その世界を通してしか、人は物を見られない。
だから、人に分かってもらうには、私はこういう世界を作ったんです、それはこういう気持ちでこういう意図なんです、ってある程度は説明して相手の世界で相手に認識できる形に変換しないといけないんだよ。
って今なら分かるけどさ。
当時のさとこさんは、それがよく分からんかった。というか、分かったのついこないだ。ちょっとゆがんだプライドを持つことで、自分を保ったようです。それはそれでよく頑張ったね、小学生のさとこ。
メディアの役割から見ると…?
少し話は逸れますが、メディアについての本を読んでいて、メディアの役割は3つあると書いてあった。
1.何が必要とされているかリサーチする
2.必要とされているコンテンツを作る
3.そのコンテンツを必要な人に届ける
みたいな内容だったと思う。
この中で私が書きたい!と思った時にする行動は
1.何が必要とされているかリサーチする
2.必要とされているコンテンツを作る
3.そのコンテンツを必要な人に届ける
だけ。「何が」 「いま」「誰に」 必要とされているのか、は決定的に考えていない。
自分が発見したことを発見したぜ!と手近なところで叫ぶという衝動。
これ以上でも以下でもない。
今のところ楽しいけれど、私を知っている人が「くくく」と笑う暴露ブログ。
趣味。これで食ってきたいのか?さとこ??と問う。
私は自分の書きたいという原点を遡って、ほんとうにこれだ!と進むにははっきりさせたい。私は何になりたいのか?何を形にするときが楽しいのか?
でも、こういうことをして飯を食っているのは、多分書き手のキャラが十分に認識されていて、その人が書くなら読むぜっていう層がいる人。ふーむ。
物書き=プロの書き手になりたいとのことだけれど、わたしゃ本当はどうしたいの?ゆっちゃいなよ。
多分、ふらふらぁ~っと思ったことを書くエッセイストみたいのになりたいんじゃないの?それなら、どうすんの?って。
とここで、疲れてきた。
とりあえず、徐々に解明は進んでいる。
・私が書きたい!という原点は、自分のものの見方を言葉で切り取りたい、ということだった。
・私が書きたい!というときやっていることは、本当に自分の思ったことを表現するだけ。
・どうやったら、この書きたい!を続けられるか、そこで頭を使いたいところ。
次は、私がなりたい!と思う米原万理さんへの愛を語る回へと続く。
ふらふらエッセイストに加えて、少々のアカデミックスパイスを加えたいさとこです。