初オーディションに参加
今朝は久しぶりに早起きして、とあるオーディションに行ってきました。
どんなもんやろかと思っていってみたら、
表現したい!!!
という情熱に溢れた20歳くらいのひとたちがたくさんいて、すごくすごーく元気をもらいました。
一人ひとりに、それぞれの人生があり、それぞれのきっかけがあり、それぞれの個性がある。
それをこじれることなしに、どストレートに出すってことが、こんなに気持ちがいいものなんだと何度も鳥肌が立ちました。
素敵。
経験値ひとつあがった。
ほんと、みんな色々ある。
新しいバイトを始めてジタバタ、ジタバタしております。
バイトとか仕事において、手を抜くとかテキトーにやるっていうのが出来なくて、勝手に使命を背負って、勝手に自分が苦しくなるパターンをいつも通りやっております。
バイトとか仕事がある日は、その何時間も前からあと何時間で、バイトだ…あぁなったらどうしよう、こう言われたらどうしようと、毎回本気で胃が痛くなります。吐きそうになって緊張して、バイトから帰ってきたら頭がガンガンしている。
バイトなんてもう10種類以上はやってるし、仕事だっていくつもやってるけど、本当に毎回同じことの繰り返し。
もぉーやなんだけど、変わらない、変われない。そんな時ってどうしても、視野が狭くなりがちなんですが、今日は60代の人の話を聞いて、ちょっと我に返りました。
ほんとみんな色々あるんだなぁって。
ある人は、すごく信じてた友達の借金の保証人になったら、トンズラされる。地方の実家まで追いかけていったのに、家族ぐるみで騙されて、連絡が取れなくなった。その時に助けてくれて人がいて、本当に感謝しているって。
その方に対して、人間関係がどこかお節介なんじゃないかな?と正直思ってたんだけど、自分が苦しかった時に助けられたという経験があるから、出来るなら自分も人に手を差し伸べたいって思ってるんだなぁって気がついた。
客観的に誰かの行動を見て、知ったふりをしてジャッジしてる自分がいた。それはそれでそうなだけだけど、やっぱり人にはその人にしか分からない思いがあるんだなーって沁みてきた。
そして、この沁みてきた気持ちは、自分に対する恥とか責める気持ちじゃなくて、あったかいものでした。涙が出そうになるようなジーン。
他にも80歳を過ぎて、自殺をした尼さんのお話を聞いた。若い頃、夫と上手くいかず、乳飲子を含む子供達を捨てて仏の道に入った。それなりに成功して、大きくなった子供達に援助をするも、ことごとく子供達の人生はうまくいかない。その後死んだという知らせを受け取ったそうです。
最後に会った時「私が死んだら、これを飲んだと思って」と見せられた錠剤が忘れられない、
彼女生きてたくなかったんだろうね、というコメントが私は今頭から離れません。
なんだろうこの気持ち。
何に共鳴しているのか分からないけど、すごく心が動いた。泣きだしたくなるような気持ちになりました。
四谷の純喫茶 騎士道
vol.4 久々に観たドラマのJINがあつい、あつかった。
毎日書くといいつつ、きれいに3日目坊主をしました。
毎日って重いね。
昨日は、バイトに行ったら帰ってきたらめちゃくっちゃ頭が痛くて、吐きそうに痛かったのでパソコンに向うのは諦めました。
自分をなんとかリラックスさせたくて、紅茶を飲んだり、チョコレートを食べたり、その後ドラマを観始めたのがだめでした。
観始めたドラマは、「JIN 仁」です。
大沢たかお主演の平成のお医者さんが江戸時代にタイムスリップするやつです。
オフィシャルサイトから
いやぁ、あつい、めっちゃあついですね。
使命を持った人たちと役者の演技にやられて見入ってしまいました。
環境が整っていない中で、なんとか患者を助けようとする主人公の南方先生、南方先生をサポートする武家の娘咲さん、なんか圧倒的な存在感で周りを巻き込んでいく坂本龍馬さん。などなどが出てきます。
最近、適材適所ということを考えてるんですが、まさにこのドラマの第一話のテーマとリンクしていました。
要は、自分にできることをやることが、全体の利につながるっていうことですよね。
進んだ医学の知識を持った南方先生には、医者たちに知識を教えて、最前線で患者を治すというやることがある。
江戸時代の最先端の医者である緒方洪庵には、自分の影響力でほかの医者を動かし、説得する役割がある。
坂本龍馬さんには、脱藩した浪人という自由の身だからこそ周りを巻き込んで盛り上げて、自ら泥臭い役割を買って出る役割がある。
咲さんには、南方先生をサポートする役割がある。
幕府には、財力と人を動かす役割、武士(公務員)には組織の中で役割を全うする役割がある。
こんな風にそれぞれの人が今いる立場、力量で、役割が違っているんです。
武士が医者になって患者の治療はできないし、タイムスリップ医師には江戸時代の常識は分からないので民衆を盛り上げる力はない。
そんな風にパズルのピースのように人の役割があって、合わさったときにすごい力をもってことが動き出す。
頑張る方向性がそれぞれなんですよね。大事なのは、「自分が何をするべきなのか知っていること」だと思うんです。
頭を使って考えるのではなく、目の前にある自分の畑を耕す(格言作ってみた)ことが全体にとって何よりの貢献ということ。別にそれぞれが貢献と思っている必要はないけれど、後で考えるとそれで完璧なんですよね。
そこで、じゃあ私の役割って何?っていつも思ってしまう。
目の前にあることってなんやろうか?
それは、自分で選べるようで、じつは選べないものなんじゃないかと思ってしまう。
すごくやりたくないけど、本当はすごくやりたくて仕方ないこと、分かっていないようでそれが起こることを心のどこかで望んでいること、のような気がする。
もやにかかってまだはっきりはしていないけど、なんかあると思う。
龍馬さん曰く、
「自分が正しいと思った道をいくと、それが誰も歩いていない道でも、仲間は後からついてくる。さすれば道は開ける」
と。
私は、なぜ幕末のフィクションと自分を重ね合わせているのが意味不明ですが、すごい感動をもらいました。
ということを考えるほど、JINはええドラマですが、体調不良で見ると、手術シーンが多くてちょっと堪えます。
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はい、毎日ブログチャレンジ4回目。書けた。
テーマは決めない。書きたいものを書く。
vol.3 やる気についてのモノローグ
一気に寒くなって、何もやる気がでなくなりました。
洗い物も、洗濯物も、服を畳んでしまうのも、めんどくさ・・・
すべてを放置してブログを書くことにした、私です。
別に何をせんでも、死ぬわけちゃうし、まあええか、という心持です。
今、私の住んでいる家は大きなワンルームで、半分は同居人の仕事スペースです。だから事務所に居候してる感じなんです。
ロフトに私の机と本棚とベッドがあるので、そちらが居住スペースなのですが、食卓とかはありません。
ご飯も朝に作るお味噌汁と、たまぁに作る「土鍋で炊いた特製おにぎり」なので、家事負担とかほぼありまへん。
朝・昼・夜と規則正しくご飯という感じもなく、お腹が空いたら各自食べたいものを食べるスタイル。夜食べると胃が痛くなるので、基本私夜は食べません。
なんとまあでたらめに生きてるんだろうと思うけど、これでも死にませんし、だれにも怒られません。大人って最高💛
(許容してくれる周りには感謝 柏手)
なんでやる気ってでなくなるんでしょうね。
・・・・
ん?
そもそも、やる気ってなんだ?
「いつも前向きでちゃっちゃと進みたい教」の経典に載っているやつじゃないか。
私が思っているやる気って、「家事・その他やるべき事をやる意欲」を指しているんだな。
そういう意味では、私は今日だらだらする意欲はすごくありましたし、気を紛らわせるためにムーミンのゲームをやるやる気はありましたし、午前中11時まで寝ているやる気はめちゃくちゃありました。
しかも、よく思い出したら、バイトも探したし、メールの返信もしたし、朝お味噌汁も作ったし、おにぎりも作った。
めっちゃやる気あります。
あぁ、でもやる気っていう言葉がもうダメ。
やる気って言われるとすごいプレッシャー。
じゃあなんていえばいいんだ??
やる気じゃないな、それなりに生きる気?、まぁまぁの一日?
雨の日の割には活動したなと感じられる日?
こんな感じやな。
いつでも、自分にしっくりくる感じでいれば最強。
私の内面がどんな感じでも動いてくれている心臓に感謝。
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今年最後の日までブログ書いてみよう、(2日前の記事参照)
そして好きなものに目を向けようという意図にも関わらず、
(昨日の記事)
やっぱりあっちゃこっちゃ考える頭のようなので、
今日はテーマとかないけど何か書いたということで毎日のブログ書く企画においては良しとしましょう。
テーマを決めてそれを書くって決めてもさ、気分が乗らないとやらない人です。はい。
vol.2 好きな画家について
美術の成績はずっと悪かったけれど、私は絵を見るのが結構好き。
きれいに描きこんでいる絵よりも、ぐちゃぐちゃで何が書いてあるか分からない絵が特に好き。
例えば…ウィリアム・デクーニン
(画像はネットから引っ張ってきています。)
何で初めて見たのが分からないけど、こういう書き殴ってあるみたいな絵が好きなんです。見ていると気持ちがスッとしてきて想像を搔き立られるからだと思う。
美術史の系譜からいったら、たぶんとても技術の高い人があえてやっているのだと思うけど、私からするとこれならなんか書けそう!私にもあるこの世界観!と親近感を覚えます。
さとこ画伯のお絵かきはというと・・・
アボリジニーのおばちゃんの絵
あとは、もう死んじゃったけどオーストラリアのアボリジニーの画家エミリー・ウングワレーさんも好き。
こないだブックオフで図録を見つけてお買い上げした。
これが何か?とかじゃなくて、見たときにいいねぇ、うん、うん、分かるっ、にやっ ていうのが私のアンテナなんです。
解釈とかは苦手で、自分の感覚に合うかどうか、見ていて気持ち悪くないか、踊りだしたくなるかという子供心を発動させる。
だから、美術館で絵の横にある解説はけっこう苦手です。
「〇〇のように描かれた〇〇からは、作者の不安が伝わってくる」
「見るものを〇〇な世界に引き込んでく」
みたいな定型文にはめ込まれた絵はなんてかわいそうなんでしょう。
うっさい、ほっとけ、
と思うので、できるだけ見ないようにしています。
描かれた年と絵具とかの素材とタイトルだけでいいんじゃ、と一人で怒っています。
まず、絵だけを見て、タイトルを自分で考えて、作者が考えたものと答え合わせなんてのもやることがあります。
世界の嗣治さん
系統は違いますが、竹橋の近代美術館でいいなと思う絵をピックしたらほぼ嗣治作品だったこともあって、藤田嗣治も大好きです。
有名で人気なのでいつも日本中どこかで展示がやってますよね。
乳白色の裸婦が有名なのかな??
ぼわんとしているのに、洗練されてて、好きです。
今、机の前にも画集があります。
ゴーギャンはどこかの雑貨屋で絵をプリントした布地を発見して、コルクボードに張り付け机の前に飾っております。
こんな感じ
共通点としては、私の妄想にどれだけ向いているかだと思います。
(巨匠たちを前にあくまで自分目線w)
その絵を見て、自分の中で想像が掻き立てられたり、今私が日本人で31歳でどーのこーのという日常を忘れられるか、絵の世界観にトリップできるか、というところなんですね。
そういう意味で好き・嫌いが決まっていく。
てきとーで最高な美術鑑賞法だと思っております✨
あ、最近お姉ちゃんに指摘されて気がついただんだけど、私は感覚を人に説明する能力があんまないみたいです。
自分の中でわかる!ってなったら、人も物も事象も入ってくるんですが、それを「人に」「分かるように」伝える能力がもともと皆無らしい。
自分で自分を「私って論理的な人間かも、ムフフ」と思っておりましたが、そうではないようで。論理性への理解と憧れとリスペクトはありますが、素質はございません。
なので、これを読んでは?ってなった人多いかもしれない。
でもね、いんですよ。
だって、特に意味はないので。秋の夜の自分活動(ひまつぶし)です💛💛
雨が降って寒くなったので皆さん、お気をつけあそばせ。
____
一応、今年が終わるまで毎日ブログ書く!の文脈で取り組んでいます。だから今日はタイトルにvol.2って加えました。
昨日の記事は、〇〇が嫌いじゃ~という悪口日記になったので、
さぞ、反応もしにくかろう、と思い
2日目の今日は、〇〇が好きというテーマでと好きな画家についてお届けしました。
明日は、「好きなイラストレーターについて」、の予定です。
ってほんまかー??
今年があと100日で終わるらしいと数日前に聞いた。
それで、その人が今年終わるまで毎日ブログ書く📝って意気込んでたから私も真似しようと思ったの。
ブログ書くなら等身大で書きたいと思って粛粛と書き始めたらさ、いまは人に会いたいたくないだとか、私は引きこもって泣きたいんだとか、お節介焼いてくる人が嫌だとか、そーゆーべつに自分の日記でいいんじゃないか?と思う個人的なことしかでてこなかったんです。
でもさ、毎日何かアウトプットはしたいので結局ブログを書くことにしました。
2ヶ月くらいPCを触ってなかったので、キーボードを叩くのが結構楽しい。キャハ。そのレベル。
何を書こうと頭で考えて試行錯誤してると吐きそうになるので、このまま進んでいくことにする。
そういえば、さっき電車内で気まずくやめた前々職の人の目の前に座ろうとしてとっさに逃げたわたしでした。
気まずさは俄然逃げてしまうタイプです。
みなさん、おやすみ⭐
アデュー
ムーミンがすごく、いい。
今日が、水曜日だと思ってたし、時間も実際と1時間以上ずれてるし、まったく地に足がつかないコニシです。
ムーミンにはまっている。
アニメとかグッズの方が有名かも知れないけど、がぜんお話が良い。
なにがいいかというと、登場人物が偏屈だったり、嫌味を言ったり、怒りん坊だったり、すごく繊細に描かれているところ。
童話って説教臭かったり、単純過ぎて大人が楽しめなかったりするものものあるんだけど、これはすごく細かくて読んでて違和感がない。
ストーリーは割と荒唐無稽なんだけど、キャラクターのやり取りとか、癖のある行動とか妙に読んでて心地よいんです。
例えば、ムーミンパパというキャラクターがいるんだけど、ムーミンパパ海へ行く、というお話では始終不機嫌なんです。
そもそも、海に行きたくなったのも、日常に飽き飽きしてしまったから、ある日思い立って家族を連れて海へ行っちゃう。
そこでワクワクの冒険があると思いきや、たどり着いた島での生活はまったく盛り上がらない。ママは、世話するのが本能のように好きなはずなのに、突然家出しだすし、壁に訳の分からない絵を描かなぐりだす。
ムーミンは、海をコントロールして、なんとか冒険を冒険らしくしようとするパパに嫌気がさして、一人で茂みで暮らし始める。
ミイは、いつも変わらないけど、空き地にいるありが邪魔だといって灯油をかけて皆殺しにする。
パパが躍起になって魚を取ってくれば、もう魚は要らないって言われるし、ギクシャクギクシャクする。
ムーミン一家、崩壊!!
お話は一応教訓はあるんだけど、そこが魅力というよりは、不機嫌な人をそのまま放っておく作者にすごい親しみを感じる。
しかも、お話によって、出てくるキャラクターがまちまちなんです。一緒にいるはずなのにスノークのお嬢さんとかスニフは『海へ行く』には出てこない。
この勝手な感じ、捉えきれない感じがすごい、いい。
ほっといて欲しい時は、ほんと、ただほっといて欲しいって分かってるはずな人なんだなーと思う。
ムーミンパパ海へ行くの詳細👇
https://www.moomin.co.jp/books/2459