日記

日々おもふこと

あえて言うことでもないけど、私は間違えないと分からないタイプです。

インスタライブをやってみたり、変ななんかのオーディションを受けてみたり、「どこに向かってるの?」と自分でも分からないコニシです。

 

そうなんです。

 

わたしゃ、人からそれ違うよ!とか、実際にやってみて違うなと実感できないと、間違えていると気が付かないタイプです。

ということが分かった。というか、この確信は日々固まっている。

 

怖がりな割にはおっちょこちょいな私は、これまで結構な間違いをしてきました。

 

SNSの違うアカウントで記事をシェアしてしまった

・メールの宛名を間違えた

・請求書の送り先を間違えた

・平成〇〇年と書かれた欄に堂々と2014年とか西暦を書いた

 

まぁこの辺はまだしも、

 

・大学院に行って研究者はちょっと違うかもと思った

・会社に入ったらそれの100倍くらい違うと思った

・面白そうと思ってやってみたバイトだけど全然自分に合ってなかった

・あこがれが先走って付き合ってみたら、全然合わない人だった

 

とか。仕事でも、自分がおもろい!つぼを探しすぎて、目的から外れること多数。

 

・会社のメディアにエモい詩を載せようとした

・記事を書いて面白いと思ったところが、まったくささらない

SNSのできあがっている空気感をガン無視してすべる

 

 

こう書くと特に変わったことでもない気もしてきた!笑

けど、気を取り直して書き続ける。

 

つまり、実際に人から間違っていると言われたり、明らかに滑ったとかやらかした💦て思わないと自分の方向性が間違ってることに気づかないんですね。

 

これはこれでいんだけど、失敗するのが怖いもんだから、辛いですよね。

自分では慎重にやってるつもりなのに、良かれと思ってやったのに、外すって・・・・

 

でもね、もう学んだわけですよ。

 

私は、ずれる。間違う。

ほぼ修正されるし、だいたいミスがある。

 

ということは、

人から指摘された・・・・ガーーーン ではなくて、

チェックしてくれた!!!せんきゅう(●´ω`●)

 

って感じなんですね。

 

自分が間違ってしまった。。。恥ずかしい・・・という部分ばかりにフォーカスして、ミスをしたらどうしようと怖くなってたけれど、大事なのは「それが修正された」という事実なんですね。

ミスが修正されたら、そのほかは特に大事か?みたいな。

自分が怒られたとか、恥かいたとか、自分の人生にとってそこまで大したことじゃないんですよねぇ。

(もちろん、適当にやったらいいというわけではない。)

(失敗が怖いタイプは多分適当にやれと言われてもできないタイプと思われる)

 

小学生3年生の時に「教室は間違うところだ」という詩を教室に貼ってくれた先生がいて。間違ったら覚えるんだよ、みたいなええ詩でしたわ。

その時からインプットはされていたのに、腹落ちするまで20数年かかったぜ。

すごい、まっとうな普通なことを書いている気しかしないけど、まあいいや。

 

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私を象徴したサボテン「コニシ」

 

おやすみ。

mimp indah 

 

 

 

 

 

 

 

私は本当に物書きになりたいのか?と問うてみた。

何がしたいの?と聞かれて、ここ10年くらいは物書きになりたい、と答えていますが、実はイマイチすっきりしない。

 

すごーく小説が書きたいわけではないし、ジャーナリストになって世の中の真実を暴きたいというわけでもなし、マーケティング的な文章を書くのが得意だとも思わないし。

 

なんなのだ?なんなのだ?

 

今、これをもうちょっと掘り下げることが、「何かやりたいのに何したらいいか分からない」という最近のもやもやへの一番近道な気がする。

 

周りの人にはまた&まだそんな分析やってんの?と言われるけど、飽きるまで考えるもん。遅れてやってきた自己分析癖とモテたい欲求(何のこっちゃ)。ということで、自分のやりたいことの解像度を上げるために「自分と書くこと」について 掘り下げていきます。

 

マンションの廊下で寝そべって書いていた詩が原体験

思えば、私の書くことの原体験は物心ついた頃に、鉛筆とノートだけ持って自分家(マンション)から飛び出して、共用部分の廊下やエントランスで詩みたいなものを書いていたこと。母親によると、「ちょっとさとこ行ってくるわ」と急に家を飛び出してたらしい。

雨のしずくがぽちゃんぽちゃんと垂れるところを見て、雨がぽっちゃん みたいな詩を書いていた。多分その頃から、「ここではない世界」に憧れていて、マンションの公園の向こうには不思議な国が広がっているとよく空想していたなあ。

 

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雨の詩 

あとは、その場の空気から感じることとか余韻みたいな言葉にならない感覚をどうにか言葉にしたかったような気がする。

 

例えば、ある日マンションの友達と遊んでいてすごく楽しかった。女の子のごっこ遊びに珍しく男の子も加わって、敵と味方に分かれて戦って、復活して、また戦って。汗だくになって遊ぶ。もう夢中で。でも夕方になってお母さんたちが「ご飯よ」と呼びに来る。あーあ、せっかく盛り上がってたのにといいつつ、泣く泣く解散する。

それで、次の日もその時の楽しさが忘れられなくて、同じことをやってみるんだけども全然面白くない。なんか、違うんだよなぁ、昨日ほど盛り上がらないなぁとその場の誰もが思ったことがあった。

その時の残念な気持ちとともに、その時そのメンバーで生み出される空気感・ライブ感が大事なんだなと強烈に感じたのを覚えている。

それも詩に書いた。

 

なんだろう。自分の発見を言葉にしたかったんだと思う。

私にはこう見えたよ、こう思ったよ、って言いたい。

 お母さん、聞いて聞いて。さとここんなこと思ってん。どう思う?って感じ。

それが小学校4年生の時に書いたこの詩みたいなやつ。

 

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男の子の甘さを知るために 私は男の子を生む らしい…

当時私は本当に男子というものが意味不明で、かっこつけてるくせに、甘えてくるという謎な物体でしかなかった。それを表現したかったんだと思う。

今見ると、自分でもよく言っちゃってるなー、と思うけど当時はほんと邪心なし。自分の発見、物の見え方を言語化したかったのです。

ちなみに、なぜ、言葉だったかというと、私は本を読んだりして言葉に感動したり、助けられたり、自分にとって身近だったからだと思う。

 

作文を褒められた記憶はない

作文とか読書感想文も書くのは好きだったけれど、決して褒められた覚えはない。

それもそのはず、と今は思う。

清少納言枕草子スタイルの現代版を書いたり、(提出直前に書いたかなりテキトーなやつ)

Oh!紙という名前の狼の一族が崖から飛び降りて、動物占いの狼の姿になるという謎の物語を書いたり(当時動物占い流行ってたからさ)

自分が思いついたアイディアに満足して、内容やその背景を分かりやすく説明するとか一切していなかった。だから、先生のコメントはいつも「苦笑」という感じだった。

 

「小西さんは、なぜこれを書こうと思ったのでしょう?」

「予想を裏切るユニークなお話ですね」

「先生はこんなこと思い付きもしません」

 

とかね。

 

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

 

まあね、今思えば大人は困るよねって思います。

だって色々意味不明だもん。

 

一方、それを見た私はというと、

 

ふーん、先生よく分かってねえな(私の面白さを)

この人、凡人だからさ、理解できてないね

 

と思って評価されないことに慣れていきました。

多分本当は「面白かったね」と言われたいし、この物語の面白さはこの部分だからここをもっと膨らませたら?みたいな感想が欲しかった、よね。

だけど、基本スルーされてた!笑

 

それで、私はそこに凹むというよりは、この人たちは分からない人たちなんだと自分で距離をとることで、自分を守っていたんだと思う。

自分の世界は自分だけで守ろうと決めたんだと思う。

分かってもらえない、という孤独感は自分が選択していたみたい。

 

「分かってもらえない」と思う気持ちの根源が見えてきたよ

書いていてちょっと切なくなるから、きっとそうなんだろうな。

でもね、先生の立場を考えるとさ、そりゃわかんないよ。説明してくれないと。

あなたにあなたの世界があるように、人にはもれなくその人の世界がある。その世界を通してしか、人は物を見られない。

だから、人に分かってもらうには、私はこういう世界を作ったんです、それはこういう気持ちでこういう意図なんです、ってある程度は説明して相手の世界で相手に認識できる形に変換しないといけないんだよ。

 

って今なら分かるけどさ。

当時のさとこさんは、それがよく分からんかった。というか、分かったのついこないだ。ちょっとゆがんだプライドを持つことで、自分を保ったようです。それはそれでよく頑張ったね、小学生のさとこ。

 

メディアの役割から見ると…?

少し話は逸れますが、メディアについての本を読んでいて、メディアの役割は3つあると書いてあった。

 

1.何が必要とされているかリサーチする

2.必要とされているコンテンツを作る

3.そのコンテンツを必要な人に届ける

 

みたいな内容だったと思う。

この中で私が書きたい!と思った時にする行動は

 

1.何が必要とされているかリサーチする

2.必要とされているコンテンツを作る

3.そのコンテンツを必要な人に届ける

 

だけ。「何が」 「いま」「誰に」 必要とされているのか、は決定的に考えていない。

自分が発見したことを発見したぜ!と手近なところで叫ぶという衝動。

これ以上でも以下でもない。

 

今のところ楽しいけれど、私を知っている人が「くくく」と笑う暴露ブログ。

趣味。これで食ってきたいのか?さとこ??と問う。

私は自分の書きたいという原点を遡って、ほんとうにこれだ!と進むにははっきりさせたい。私は何になりたいのか?何を形にするときが楽しいのか?

でも、こういうことをして飯を食っているのは、多分書き手のキャラが十分に認識されていて、その人が書くなら読むぜっていう層がいる人。ふーむ。

物書き=プロの書き手になりたいとのことだけれど、わたしゃ本当はどうしたいの?ゆっちゃいなよ。

 

多分、ふらふらぁ~っと思ったことを書くエッセイストみたいのになりたいんじゃないの?それなら、どうすんの?って。

 

とここで、疲れてきた。

とりあえず、徐々に解明は進んでいる。

 

・私が書きたい!という原点は、自分のものの見方を言葉で切り取りたい、ということだった。

・私が書きたい!というときやっていることは、本当に自分の思ったことを表現するだけ。

・どうやったら、この書きたい!を続けられるか、そこで頭を使いたいところ。

 

次は、私がなりたい!と思う米原万理さんへの愛を語る回へと続く。

 ふらふらエッセイストに加えて、少々のアカデミックスパイスを加えたいさとこです。

出会い系サイトで70人と…を読んだ感想。

 

 

昨日この本を読みまして、大変参考になった。

内容は、ヴィレバンの店長をしていた著者が、1年くらい出会い系サイト(実際はもう少し意識高い系マッチングアプリ的なもの)で知り合った70人に本を薦めまくって、個人的な問題を乗り越えつつ、本を薦める技術をあげていくお話しです。

思ったことは2つ。

1.作者さんは自分の好きと仕事がマッチしている

言い換えれば、本の作者さんが自分の適性を自分でよく分かっていらっしゃるということ。例えば、作者さんはサブカルに傾倒して漫画や本が好きで家でもそれを読むし、サブカルの聖地とも言える下北沢のヴィレバンに入り浸っていたそうです。

そういう自分の趣向を分かった上で、大学卒業後にふらふらして就職でもするか、というタイミングで下北沢に住み、通っていたヴィレバンに貼ってあった求人広告を見てヴィレバンに就職するというごく自然な流れ。

 

これ、これ。

こういう本音をベースに自分の勤め先を選んだ著者さんがすごいと思うし、大変に羨ましい。私にも欲しかったです、こういう視点 (T_T)(T_T)(T_T)

働き始めても、共通の趣味や世界観を持つ人たちと一緒にいるのはとにかく楽しくてしょうがなかったとか。

 

いーなー。

あたくしそんなん思ったことがないっす。

 

誰もが好きと仕事の適性が合致するとは限らないけれど、少なくとも自分がどの世界に身を置くのが心地よくて、力が発揮できるのかを自分で掴んでいることは強いと思うのです。

私は、ここがいつも苦労ポイント。仕事に関しては、力んじゃって自分がどういうタイプかは脇に置いてしまい、妄想のイメージで「こういうのいいかも」、「なんかかっこよくて素敵かも」、「案外自分にはまるかも」なんていって無理矢理動いてしまうんです。

ここでの反省ポイントは、夢見る愚かな自分というよりは、自分の本音に気がついていながらそれを見て見ぬ振りをしていること。

なんとなく分かるじゃないですか。

 

「いやいや、でもこれはちょっとちゃうなー」とか、

「これはやりすぎやわ」とか

 

そういう心の声が聞こえていないわけではないのに、

 

「これやったら面白くない(。-∀-)」

「やばくない(。-∀-)」

 

という謎の声に押し切られ無茶な行動をしてしまうっていうね。

 

そうやって無茶な選択をすると、たとえ一度は実現しても「あ、なんか違う」と思って違和感を覚えていく。結果、長続きしなかったり、違和感に耐えられず自分の選択を恨んだりしてしまう。

その違和感は自分にはこれは向いていなかったんだというサインなので、それはそれでいいんですが、何度も続くと自分との信頼関係がガタガタになるのがよろしくない。

 

あぁ、まただめだ。

私に向いていることなんてない↓↓↓

誰も分かってくれない↓↓↓

 

というループにはまっていくんです。

よく考えれば、その違和感は当たり前の結果なのに、これが絶対に良いはずだ!!という思い込みが強いと、それがうまくいかなかった時にガクッと凹んでしまうんですね。

 

仮に、自分があまり足元を見ずに動くタイプだと自覚があれば、違うなと思った時、あ、これ違うんだとサクッと次に進む、でいんですよ。さとこさん。

 

 

2.自分の問題を乗り越えるために始めた本の紹介で、自分に磨きがかかっている

これ、作者さんが体を張って実施した一大フィールドワークなんですよね。どう考えても。人生は壮大な実験で飽くなきフィールドワーカー(きらり)を自称する私は、私もこれやりたい!!という声がもれそうでした。

1年間人に本を薦める過程で、アドバイスされてプロフィールを修正したり、最初は身体目当ての人が続いたと後で気が付いたり、変てこりんな小説書いてくる人に吐き気を覚えたり、自分よりも本を読んでいる人がいて冷や汗をかいたり、

経験に比例して、コミュニケーションスキルも、人を見る目も、本の薦め方もどんどん洗練されていくんです。

その結果、ブックコンシェルジュというお仕事に就くことになり、自分の経験を連載するようになり、この本が出版されるという、ゴールデンコース✨

ここで私が大事だと思うのは、最初からこの体験をネタにしようとか自分の仕事につながるように本を紹介しようという気持ちからではなくて、

 

これ面白そうだ!

切実に今の自分にはこれやってみたい感じするねん!

 

という動機で始めたように思えることです。本当のところは分かりませんが、私にはそう思えました。だからこそ1年間も続いたし、結果的にお仕事にも結び付いたんではないかなと思わずにはいられない。

 

私も、等身大の自分が現在、楽しめる事に集中したい。

人にばっかり散らしていた目を自分に当てて、もっと解像度の高い自分自身を見つけたい、と思ったのでありました。

 

 

 

読まれても「いいね!」されない件

昨日、久々に会った学生時代の友達に、「ブログ読んでるよ」と言われました。

なんか、っぽいね、最近暇なの?、とか近況報告にはちょうど良いとか、それぞれに感想をいってもらって嬉しいんですが、心境としては…

 

あ、そうなんだ…この人も読んでたんだ。(ちょっと意外)でも、いいね!とかされない。いいね!欲しくて書いてるわけじゃないけど、いいね!があまりに少ないとすべってる感が自分的につらい…

 

でも、いいね!欲しさに書いている感は自分的にはもっと嫌。

共感されたいわけじゃないもーん、気持ちを整理するために書いているんだもーん。

というのもある。

 

今のところ

気持ちの整理:いいね!欲しい感 =7:3

くらいの割合なんでしょうね。

 

気持ちを整理したいし何かアウトプットしたいんだけど、せっかくブログ書くんだから「いいね!」貰えたら嬉しい、貰えないと寂しいという感じ。

 

しかし、内容的に反応に困るともいわれました。

なんでだろうか?

自虐だからなのかな? 

 

よくよく考えると、別に「いいね!」と言われたいのではなく、「ククク、読んだぜ」と思ってるなら、そういう反応が欲しい。

 

は!これが承認欲求というやつなのか。

願わくば、一日でも早くこの承認欲求という奴から解放されて、私楽しい、ウフフ、生きてるだけで素晴らしい、以上、マル、といきたいけれど、承認欲求さんは根強い。して、やや無理くりだけど、多分人に認められたいという承認欲求は悪者ではないのだと思う。

 

要するに、何が言いたいかというと私「いいね!」が欲しいので、みんな読んだら(心の中でクククと思っててても)「いいね!」ボタンを押そうねってお話です (^_-)-☆

 

そして、いいね!にまつわるみんなの意見待ってます。主になんで私のブログにいいね!されないかw、いいね!についてどう思うか、そもそもブログをFacebookにシェアしているのがもはや時代遅れなのかなどなど。

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ど真ん中を狙いにいこうと思います。

思いの丈をぶつけるために書いているこのブログ。

特に反応ないな、ちょいと寂しいなと思っていたのですが、案外楽しみにしているという声を聞いて嬉しくて調子に乗りつつあるコニシです。

ありがとう、感想をくれた皆様🌈

 

ど真ん中を狙うのって怖くないですか?

自分が本当に好きなもの、やりたい事、好きな人、については、力が入ってしまうし、失敗したくないし、嫌いになりたくないから、遠ざけてしまう癖が私にはあります。

 

私にとってのど真ん中は、今のところ「インドネシア」、と「文章を書くこと」だと思うのですが、なぜかそっち方向のことを考えると気が重い…やりたくない…面倒くさい…と思ってしまう。

 

やってみて、自分の実力のなさが分かるの嫌だし、失敗したらいやだし、これだめだったらどうしようと思ってしまうから、(特に何もしてないのに)

 

周辺を狙っても、いいんだけど、いいんだけど、

とりあえずやってみたとして「ふーん」という感想とか

失敗したとして、ある程度の痛みしか味わえない。

 

その手応えのなさよ。。。

本丸に手を付けるのは本当に怖いけど、挑戦しないことの方ずっとずっとつまんないね。

 

それの繰り返しでもう飽きてきたよ。

 

本丸狙いにいきたい、

人生の一瞬一瞬をもっともっと濃密にしたい、

そっち方面にもっと楽しいことが待っている、

 

と自分の中の自分が叫ぶので、その声に従っていこう。

 

インドネシア」 「文章を書く」

 

このキーワードでピンと来たら皆様、躊躇せずわたくしにご連絡ください(●´ω`●) 

 

この先、これが変わるかも知れないし、もっともっと先に本丸があるかもしれない。

けれど、何かを選んで、何かを捨てる、この覚悟が欲しいのです。

 

あ、でも、これに当てはめて頭で判断してなんでもやるというわけではないと思う。

あくまで、自分のアンテナが動いたこと、やってみたいことをやります。

 

自分が自分に応えてない感覚をずっと持ち続けてきて、それはもう嫌なんです。

 

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意外と「こうしなきゃ」って気持ちが強いんだね

そうなんです。私、結構、物事について、〇〇であって欲しい、〇〇でありたい、という気持ちが強い方なんです。

 

タイトルの一言は、前回のブログを見た中高時代の友達が、感想として言ってくれたことなんですが、まさにその通り!!

 

例えば、結婚とか、就職とか、仕事とか、そういうライフイベントや大きそうなことについては、ちゃんと考えて、失敗のないように、筋を通して、誠実に、と深く考え込んじゃうです。

 

家族の中でも、一番お堅いと評判の私です。でも、私はそういう自分があまり好きくなくて指摘されると怒るので、お父さんなんかは、「古風なところがある」とか気を遣ってくれるレベルです笑

 

だから、最近ようやっと自分のことを結構固くて、きっちりしないとイヤなタイプだと自覚してきたところなんですよねー。

 

いややな、しかし。かっこ悪いな。

もっと自由で縛られず、何事もフリースタイルで生きたいのに、憧れれば憧れるほど遠ざかっていくこの現実…涙。

 

 

ということで、ひとまずは、自覚から。私、真面目なんですよ。みんなとっくに、知ってると思うけどネ。

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私にとってはパチンコに行くよりも、社会人フットサルチームに参加する方がハードルが高い

自分に縁遠いことをやってみたい

自分の限界点を超えたいという思いが強い最近の私。

自分の趣味や強みを固めていくと同時に、いやむしろその為に自分の知らない世界を知るために、自分にとって縁遠いことをやってみたいと考えている。

これまでにも、

ネイルアートをやってみる 

☛ネイルなんて男に媚びるためだと思っていたけど、デザイン考えるの楽しいし、ネイリストさんとのコミュニケーションも興味深い。

 

流行りのアプリをとりあえず試してみる

☛アプリには興味なかった。今は、勤め先がIT系なので情報入ってくるし、ちょうどいいのでテキトーにダウンロードしてみることにしている。最近は、ニコニコ動画のアプリをいれた。しかし、使い方分からなさ過ぎて見たい動画を見るまでに30分もかかった。そして、個人的に画面に流れるコメントのテンションとか一体感がよく分からん。

 

青年漫画を読んでみる

☛世代の少女漫画は普通に読んでいるほうだけど、青年・少年漫画はあまり知らないことにある日気が付いた。悪い癖ですが、敵視している男ども!に合わせたエンターテインメントなんて、と敬遠していた。だって出てくる女の子のキャラクターが薄っぺらそうじゃん、という思い込み。

いかんいかん、せっかくアニメ・漫画文化がこんなに成熟している日本に住んでいるのだからたくさん吸収したいとみんなにおすすめ漫画を聞きまくり読んでいるところ。先週は、山本英夫の『ホムンクルス』を息の根を止めて読んだ。次は寄生獣あたりを狙う予定。

ホムンクルス コミック 1-15巻セット (ビッグ コミックス)

どれも、自分の中にあった思い込みで試していなかったけど、やってみるとなんてことなかったし、面白かった。自分の思い込みなんて本当にたいしたことないですね。

この資本主義社会、とことん楽しみ尽くしたい。明日死んでもいいように。

 

3大敬遠スポーツ サーフィン、ゴルフ、スノボ

これまでやってきたことは、初級編として今度は中級編。昔からとにかく私のイメージが悪いスポーツ。

サーフィン

いったら怒られそうだけど、サーファーってなんかチャラそうじゃないですか。海辺で女の子をナンパしているイメージしかない。しかし、よく考えたら海の波に乗るってすごい素敵なことじゃない?自然と一体化して、風を切って、波の間を滑るってスリリングでとても気持ちが良さそう。インドネシアでも日本でもやってみたい。

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スノボ

これもね、学生時代の思い込みですね。冬になると、大学生ってなんか「スノボ行かない?」って流れになりません?それが嫌いだった私。それってスノボに行きたいんじゃなくて、なんかしたいだけなんじゃないの?、大学生っぽい遊びをやりたいだけなんじゃないの?(ーー;) それなら、中身のある本でも読んどけばいいのに、と遠ざけていた。別にいーじゃん、と今なら心から思う。

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ゴルフ

一言で言うと社畜のイメージしかない。すいませんm(__)m 私はお父さんが小さい頃から大好きだったんですが、サラリーマンのお父さんが、すごく嫌そうにゴルフに行くんですよ。帰ってきても暗い顔、行く前も暗い顔。会社のお付き合いが得意ではないお父さんが無理していっていた憎きゴルフ!そして、社会人になってからここぞとばかりにみんながレッスンとか行きだすゴルフ!だだっ広い人工的な平原で、おべんちゃらごっこ、何たる茶番!といういつもの謎の決めつけ。打ち砕いていきたい。

 

 

悪口ばかり吐き出して気分が悪かったらごめんなさいm(__)mでも、気分が悪いということは、あなたの何かが反応してるのかもね♡

 

賭け事系

中級編として、一人ではなかなか挑戦できないものたちがあります。賭け事系です。

麻雀

最近やってる人周りにいないなぁ。ルール分からない、わたくしドンジャラしか知りません…

 

スロット・パチンコ

あの騒音とたばこの煙はすごそうだけど、ひとつの文化。ぜひ、体験してみたい。うまくいけば、お金増えるかもしれないし✨

 

競馬・競艇

ぜひ、馬とかボート?が好きな人に良さを語ってもらいながら体験してみたい。そこにいるおじさんたちの雰囲気も肌で感じてみたい。

 

書いてみてコメントの少なさに、私ほんとうにこの世界何も知らんな…と思った。

 

ラスボス「男女混合フットサル」

しかし、この中級編を凌いで一番、うっときたのがこの「男女混合フットサルチーム」。うぅぅぅぅ。これ、一番つらい。自分の偏見具合が、すごく強いことをびんびん感じます。金曜日の仕事終わりにどこかの屋上で集まって試合をする。「真剣な」勝負とその後の美味しいお酒。

和気あいあい、開放的な気分、ツンツン立てた髪、ちょっととれたメイク、いつもは飲まないけど今日はみんなと同じ生中、みたいな?

 

。。。。

。。。。

。。。。

 

まだまだ修業が足りません。

頑張ろう、さとこ。