日記

日々おもふこと

ワークショップの余韻

17日(日)に本番があった区民参加劇の余韻がずーっと心に残っていて、ふわふわしている。

 

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ここ数年、大学院を卒業してからかな、自分が関わることで心がここまで、がっと鷲掴みにされたことがなかったから、なかなか感慨深い。

 

前にも書いたけれど、

 

satoko2530.hatenablog.com

 好きなことは考えなくても分かるもので、今回のワークショップはまさにそれだったと思う。

8回ワークショップがあって、最終回の本番では舞台の上で自分のエピソードを語って歌ったり、踊ったりするんだけどそこに向かわせる過程が自然で無理がない。

 

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 さとこ画伯の魚の絵

 

だいたい、ほとんどの人が演劇を日ごろからやっている人ではないので、いきなり「はい!」と言われてできることじゃないんだけど、ここでは自分をさらけ出してもいいんだという場づくりから入っているから、抵抗がない。

 

100のエピソードを出して全員で聞きあう

まず、6回かけて、参加者全員で大学のゼミみたいに机を円形にして自分たちのエピソードを話してく。笑い話あり、恋バナあり、ちょっと重めも話あり、と人それぞれ。

19人もいたから、毎回5、6時間かけたりと結構なボリュームなんだけど、人の話を聞いて、「あ!この話をしよう」と思いついたりする。

事務局の方によれば、全員で100のエピソードを出し合ってみんなで聞きあったらしいです。

 

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 さとこ画伯 リボン

 

参加者の方は、表現したい!というパッションを持つ人だから、人の話を聞いて、自分の番ではこう盛り上げたい、とか、これを話してもいいんだな、とか葛藤もしながら心が少しずつほぐれていく。

 

その話にみんながコメントをしていく。それも、はじめはちょっと沈黙が続いたりするんだけど、だいたい2,3周するとキャラクターが分かってくるので、反応が予想できて、ポツポツとみんながコメントをし始める。

 

「男性VS女性」で意見が分かれたところではちょっとおもしろかったな。

私は、人間観察がライフワークなので、あ、あの人はこういうタイプの20年後だな、若いころはもっととがってて、結婚を機に丸くなったんだなといつもながら一人妄想を楽しんだりしていた。

 

そうやって世代も趣味も違うひとたちがちょっとずつまとまってくる。

 

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 さとこ画伯 ムーミンママ(模写)

最初に自分がどう呼ばれたいか決める

話はつれづれ何のまとまりもないですが、最初にみんなの「呼び名」を決めるのも人と人の距離感を縮めるコツだと思った。みんながまだ固い感じの初回で、自分のあだ名を発表して、その場で全員でその名前を呼ぶ。

そうすると、不思議といつもは背負っているはずの肩書とか立場からぽこっと出てきたその場のその人と関わっている気になってくる。

 

参加者同士で影響しあう

みんないい意味で他人には興味がない。自分の表現に必死だから。だけど、意外なところで他人の話とか振る舞いに影響されてくる。

例えば、緊張してがちがちになっている他の参加者がいたとする。みんな黙って見ているけど、当然だれも笑わない。

先生は、ただただ「大丈夫ですよ、あなたを出せばいいんですよ」と伝える。みんなは、その人の人柄が分かっているからこそ、あぁ精一杯やっている姿ってなんて素敵なんだろうってどっかでキャッチして心打たれるんだと思う。

 

黙って見ていたはずの他の参加者の人が、自分の番になると、話し方とか、振る舞いがどんどん活き活きしてくる。演出家の人がこうしてくださいなんて一言も言ってないのに、いい感じの手ぶり身振りがついたり、ちょっとオーバーだったアクションがそぎ落とされたりしてくる。

これは何の魔法なんだろう?って何度も思った。

 

あとで聞いた話だったけれど、本番では話していないエピソードを聞いて、自分のエピソードを思い出した人もいた。もしくは、話そうと思っていたけれど自分の中で消化(浄化)されて癒されていた人もいたようだった。

 

そうやって、何層にも何層にも自分の経験が思い出されて、表現されて、癒されていた。私もなんでだかは分からないけど、ほかの方の全然違う話を聞いていて涙がとまらなかった時が2,3回あった。

 

決して、そういう癒し場として設定されているわけじゃないんだけど、結果的にはお互いに人の人生の印象的な場面に出会うことで、その人の理解、翻って自分への理解になっていた。

 

はー、思いつくままに書いてしまった。

私は、どうしてもメタで見てしまって、自分の感情がどこでどう動いたのか書かないので、なんじゃこりゃと思うかもしれませんが、私今とっても熱いです。

 

ずーっとやりたかったコンテンポラリーダンスもはじめの一歩を踏み出します。

絶対、死ぬまでにやらないと死ねないとまで思っていたので。

 

表現の扉があいてしまったので、インプットではちょっと物足りなくなってきたぞ。春のもぞもぞが心地よいです。

 

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 大好きなミロコマチコさんの絵

ママサの賢いおばあさん

近所を歩いていたりしてインドネシアにいたときのことを、ふと思い出すことがある。留学中、インドネシアスラウェシ島を一周した時ママサという山間の地域に行った。

 

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日本から見るとここ!

これが行くのも一苦労で、マカッサルという大きい街からバスに揺られて6~7時間はかかった。マイクロバスと呼ばれるサイズなんだけど、人、もの、荷物がぜったいに荷重を超えてつめつめに詰め込まれて、舗装されていない道を進んだ。日本でいう4人がけの場所にぜったいに!6人以上は座っていた。

 

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中はぎっしりの荷物と人でした

 

途中、なんども水を含みすぎた粘土質の土にはまってストップしたし、揺れすぎてお互いの肩がぶつかりあって笑いが止まらなかった。例えるなら、ずっとロデオマシーンに乗っている感じ。今となっては、あんまり乗りたくないけど、その時はそんな経験ができている自分が誇らしかった、と思う。

 

それで、ママサという町。イスラム教が多いインドネシアでは少数派のキリスト教が多い地域だった。私が泊めてもらった家は、村の集落の平均的な家だった。おばあさん、孫二人、孫娘の夫、若い夫婦の赤ん坊と親せきの子が住んでいた。

 

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泊まった家ではないけど、この地域の伝統的な家

インドネシアの都会ではない村に行くと、そこについただけで、あぁ日本の昭和30年代ってこんなところだったんだろうなという雰囲気があるのだけど、この場所はそこまで田舎という雰囲気は感じなかったことを覚えている。

 

私はその家に3泊くらいして、一緒にテレビを見たり、ごはんを食べたり、お墓参りに連れて行ってもらったりした。ひとつひとつが特別なことのようで、それはそれで日常的で自分の生活とも変わらないところがあったりで、新鮮だけど穏やかな毎日だった。

 

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抱かせてもらった子供。日本人とあんまり変わらない。

で、そのおばあさん。なかなか賢い人だった。当時83歳くらいで、旦那さんは亡くなっていて、家で刺繍とか裁縫の仕事をやっている人だった。結構本格的なミシンがあって驚いた気がする(下の写真の左側を見てください)。

この地域は民族衣装が赤、ピンク、オレンジと鮮やかな刺繍で有名な地域でそのおばあさんもお針子の一人だった様子。デザインの下絵は書かないで、勝手に手が動いて刺繍すると言っていた。すごい。

 

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この地域の民族衣装


このおばあさんそういえば日本語を覚えている人だった。日本語の「起立」「礼」を覚えていたから、小学校は日本式教育だったことがあったんだと思う。日本軍はこの村まで来てたんだ。農業を教えてくれた、サンダルを履くことを教えてくれたって話してくれた。

 

このおばあさんは、顔つきからして、賢者の顔というか、しまった顔のおばあさんだった。しゃんとしているし、きついわけではないけど、はっきりとした生き方をしてきたようなオーラだった。

 

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ママサには温泉があった

ある時、その家でけっこう現代的なインドネシアのドラマを見た。韓国ドラマのリメイクみたいで、美女と美男が反発しあいながら惹かれあうというありきたりのラブコメディー。

 

ラストでお互いが告白して、キスをしあうかという場面で、二人の口と口が近づいたときに、男が「お前、息がくさいぞ」と一言。それで、女が「はぁ~何それ?」と怒ったかと思うと、男が女を抱き寄せて「愛してる」といってドラマは終わっちゃう。

 

は?

って思ってみんなの反応を見るとそのおばあさんは、

 

「何このドラマ。何がいいたんだかさっぱり分からん。物語の体をなしてない。」

 

とさらっとひとこと言うと自分のやっていることに戻った。

 

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ママサで撮った空

その時の自然な様子と言い方がすごくかっこよかった。
やっぱりこの人見えてるんだと思った。言葉で説明すると難しいんだけど自分の持っている感覚に自信をもっている人だと思えた。

 

それは、私の中にある、ここに住んでいる人はこんな考え方をするわけがないというめちゃくちゃ失礼な思い込みなんだけど、その時に自分の思い込みの枠が、がばっととれた。

 

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人は国籍、住んでいる場所、年齢じゃない。どこにいても自分らしくあれるし、かっこよく生きられる。し、私が知らないだけで、かっこよい人はこの地球上にうようよしている。

 

 

だから、今目の前にある自分の環境とか、待遇とかにぐちぐち不満をたれたくなると、実際たれているけど、

自分の中にもくもくと

 

いや?あんたどの口がそういうの?

そういうことなの??

そうじゃない実例をあなたはたくさん見てきたんじゃないの?

どこにいても、どんな環境でも、その場所でその人らしく活き活き生きている人がいるって知っているんじゃないの?

 

という心の声がしてくる。

 

言葉も環境も違うインドネシアでの生活をガッツで乗り切った自分に恥ずかしくないのと言われているみたいで、なんか恥ずかしくなる。

 

今の自分は今しかないけど、これまでの経験って掘り起こして意識して見ないと、ちゃんと発見できないし、自分が自分を認めないと足場がぐらぐらして次の一歩が出ない。

 

 と実感。

そういえば今日来ている服もママサの民族衣装に似ている。

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でも、このおばあさん、そんな一面だけではなかった。この家族には親戚からもらわれてきたの女の子が住んでいて、なんとも微妙な関係性だった。

 

続く。

 

 

本当に好きなものは考えなくても分かる。

それなりに毎日を過ごしているけど、どこかで自分に蓋をしていたみたいで。

 

今の環境や毎日を頭でこんなもん、私ってこんなもん、生活ってこんなもんって思い込もうとしてた。

 

本当はこんなもんって思ってる時点で、何かを我慢してる。私の場合は。

 

それが分かったのは、友達からの電話。

ちょうど電話した時に、「いま、キノコ収穫してるの🍄」って言っていて、都内でキノコ!!キノコ収穫してるのに、電話でるの!ってその感覚とタイミングに、自分のど真ん中な世界を思い出して安心して涙が出てしまった。

 

自分がなぁんにも考えず、本能と反応のまま毎秒毎秒過ごしてる範囲から外れすぎてる。

 

私がこれが好き、いいと思う、と思わず顔がにやけてしまう世界がちゃんとあるんだって瞬間的に分かったから。

 

本当に自分に合うものって、考えなくても分かる。これはこうするとまぁいいじゃん、これはこの点で合ってる、有意義だと頭が働いてると、腹の底ではなんか違うと分かってる。3歳の自分なら違う!と主張している。

 

 

新しいバイト始めたけど、やっぱりそこまで合ってない。周りの目を気にして、神経をすり減らしている。

 

仕事もフリーターとしてこのままでもいいかって思おうとしてるけど、本当はやだ。

自分がこれだ!と思うことに没頭したいし、仲間も欲しいし、達成感も得たい。

 

許したとかもう気にならないとか思おうとしてるけど、過去に言われた嫌な言葉とかひどい扱いは消化できてない。納得できてない。

 

このマグマのようなドロドロした気持ちと、純粋にこれが好きという気持ちが両方ぐわっと上がってきてすごく切ない。

 

生きる純度が低い。

靄がかかってて、悲しい。

きれいな赤がもみ消されてる。

 

うーー

苦しみも楽しみのうちだけど、苦しんでるだけはなんかもういいや。温度が低いのはとりあえずさみしい。自分に対して。

 

ハッピー三連休

 

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日比谷クリスマスマーケット🎅🎄

 

私は紙の本が好きな古いタイプの人だと思う。

出版業界はもう終わりだ。

紙の本は売れなくなってるし、今後はSNSを最大限有効に使った頭のいい人が生き残る時代なんじゃね?!

 

という話が、我が家ではよく話題にのぼる。旦那氏は漫画家なので思うところが色々あるのだろう。

 

私はというと、出版業界うんぬんはどうでもいい。自分が好きなように本を楽しめる場がまだあるし、自分が出版界をしょってたとうという立場でもないので、ふーんて感じ。

 

電子書籍は便利だと思うし、なんでもスマホタブレットで代用はできる。かたや、本を所有すると保存、管理にその分コストがかかる。

 

それでも、私は本を手に取って読むのが好きだし、電気屋に行くのの何倍も本屋に行くのが好きだ。その証拠に、私はほぼ毎日、新刊書店、ブックオフ、図書館、ブックカフェをぐるぐるしているような人間だ。もしや、友達がいないのではないかというのが最近の悩みなほど。

 

自分が読んでない本がこんなにあると思うだけで、幸せだし、世界がぱっと開ける感じがする。

 

ただ、売れる本、話題の本だけが並べられたコーナーにはがっかりする。

 

そんな固い頭ではいかんと、何度か買って読んでみたけど、落胆したこと数知れず。分かりやすくて、どこかで聞いたことがある設定で、読み始めて3分の1で分かってしまうオチで、、

 

あーーやっぱりかぁー

書いた人、作った人は、きっと売れる勝算があったんだろうけど、私の人生の時間なめとんか!返せ!私が求めるのはこれではないと結構腹が立ってしまう。

 

自分が感じたことのない感覚とか、知らなかった世界を見たいのにテスト前にやる予想問題みたいに、何かをなぞった感しかない。

 

やばい、すごい悪口書いちゃった。すいません、

 

そんな中で、確実に面白い本はある。作者やジャンルや装丁に惑わされず確実に面白い本はある。

 

前に住んでいた中井の伊野尾書店のこの特集はキタと思った。

 

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出版社の人が選ぶ隠れたおススメ本。面白そうな本ぎっしり。

 

手作りで飾り気のない冊子。そもそも、本好きの人って、そんな派手な人ではないと思っている。自分を含め。イベントとかパーティではなく、一人でじっくりと本を読むのが好きなんだからどこか内省的と信じている。

 

やたら派手で、お洒落な本屋さんとかはわたくしあまり信用してない。かっこよさを重んじる雰囲気で、本を選ぶアンテナが鈍っちゃう。

 

好きな本屋さんの雰囲気は、一冊一冊が、誇らしそうにでもちょっと恥ずかしそうに主張してくるところ。

 

ミーハーなくせに、本屋さんに関しては、老舗本屋が好き。大学の図書館も好き。カッコつけて電子書籍を使いこなそうと思ったこともあるけど本屋さんで買う本が好き。

 

そんな、紙の本文化がなくならないといいな。

 

 

 

 

 

心の友と私

私は、心の友と思っている友達がいる。

彼女たちは、みんな人生を楽しむことが上手で、いい意味で軽くて、いい意味で自分勝手で、人に依存もしないし、人に対して閉じていない。

 

みんな優秀で有能で私よりも器用に生きているので、困ったり、つぶれたりしていないように見える。本当はどうか分からないけれど。

 

本当に心の底から尊敬している。

だから、たまに会って話してチューニングさせてもらう。

 

本当にありがとう。

名前が変わることへの抵抗

最近、ライフステージの変化があって名前が変わりました。

でも、正直複雑で。

誰かと生きていくことは、楽しみではあるけれど、手続きをすることもいやだし、人に言うこともできるだけ避けたいとまで思っていた。

 

何を隠そう、これまでの名前で何物にもなれなかったことが悔しくて。

否定されて敗北した感がすごくて。

 

私は、この名前で本を出したり、人に知られるようになるってどこか本気で信じていたので、それが急にまっさらになってしまった気がした。

 

はい、時間切れです。あなたは、つまらない存在で、何物でもなかった、何も残せなかったと宣告を受けたような気がしている。

 

彼には悪いけど、そう思っている。

 

初オーディションには合格していたらしい

先日受けたオーディションは、よく分からないけれど合格だったらしい。

仕組みが色々複雑そうで、分かったことは、ビジネスとして何かをやるには場が必要だということ。その場に参加するには、知名度があるとか、お金を出してコツコツやるとかが必要そうなこと。

 

目の前の人が言っていることが本当?と思ったけれど、褒められたことは、

 

・芝居の間がいい

・声がいい

・プラスの感情の表現はできている

 

とのことでした。

中学高校時代も即興劇は好きだったもん。

私は、合格して何かに出演することよりも、オーディションを受けてみたかったようです。

 

今度は、行政がやっている市民劇団にでも応募してみようと思う。

 

徒然。